提灯にまつわることわざと言うのが世の中にはある物で、そのどれもが生活の中から生まれた物なのだろうなーと言うことが、よく分かる物となっております。
中でも提灯持ちなどは、その最たる物ではないでしょうか?
この様に提灯にまつわることわざをご紹介しつつ、その使い方をご紹介していきます。実際、ことわざを使うタイミングって非常に難しいものですが、たまに使って冷たい視線を浴びてみるのも面白いのではないでしょうか?
提灯持ちとは? その成り立ちと使い方について
提灯持ちと言えば、権力者の犬になるような人のことを蔑む物で、私がすぐに頭に浮かんだのは、マンガ美味しんぼに出てくる富井副部長でしょうか。
子供の頃から、大人って大変だなーと思いつつ、なんとなく憎めないそのキャラが私は嫌いではありません。大人になってから思うことは、富井さんって様々な主要キャラとの対比に用いられている便利キャラなんですよね。
ああいうキャラを一人立てておくと、原作者は非常に楽です。動かしやすいキャラなので。コメディにもシリアスにも力を発揮します。そして読者は、富井さんの行動を予測できる『らしさ』を持っています。
話が逸れました。
ちなみに提灯持ちと似たことわざに、太鼓持ちと言う言葉があります。もしかしたら、こちらの方が一般的なのかもしれませんね。
提灯持ちの成り立ち
元々、提灯持ちとは暗い夜道を先導する役目のことであり、こうした人に誘導されるのは、ある程度の権力を持った人であったことから、現在の様な意味が成り立ったのだと言えるでしょう。
提灯で偉い人の足元を照らしながら、暗い夜道で転んだりしないように先頭を歩くその姿、裏切るのも簡単そうだなーと、そんな風に思うのは私だけでしょうか?
ということは、ある程度信頼している人でなければ、提灯持ちにはなれなかったのではないでしょうか?もしかしたら、こちらの意味が合わさってはじめて、本当の意味となるのではないではないかと、ちょっと想像してみました。
提灯持ちって権力者にとっては、必要不可欠な存在なのかもしれませんよ?
『とある高校の校長と3年の学年主任』で見る提灯持ちと言うスキルとは?
- 校長の言葉は神の言葉とばかり、『もちろんです、校長』や『校長の仰る通り!』、『いや私もね、実はそう思っていたんですよー』など、一切否定しない。
- 校長の考えこそが正しいのだと反対する者を蹴落としつつ、自分がいかに校長の考えを支持しているのかと周りにも伝わるように声と態度で示す。
- 校長が時折つぶやく、つまらないダジャレに大笑いする。
- 直前までべた褒めしていた食べ物も校長が不味いと言えば、自分も不味くなる味覚を持つ。
- 校長のゴルフスイングがまるで全盛期のタイガー・ウッズの様に見える。
などなど提灯持ちは、どんどん高度なゴマすりを覚えていくスキルである。一度覚えると忘れにくく、汎用性もあるため、何処でも発動してしまう危険性も併せ持つのが玉に瑕です。
提灯に釣り鐘とは?その成り立ちと類語を作ってみた!
提灯と釣り鐘。この2つは形こそ、似てるとも言えなくないですが、素材の影響で重さが全く違う為、まるで違うものです。
提灯は叩いても音がなることがありませんが、釣り鐘は叩けば音がなります。ゴーン、ゴーンと夕焼け空にだって鳴り響き、カラスが家路へと急ぎます。
つまり、提灯と釣り鐘って釣り合いが取れないものです。比較してはいけないものを比べようとするのはナンセンスだと言う意味です。
そこにちょうちんを吊るすから、釣り鐘を外してくれーって言われても困るものです。いや、全く別のものですし・・・って。用途が違う物だから形は似ていても比較できない物なのです。
もしかしたら、比べられない物を比較しちゃってる姿があまりに滑稽だったから、こんなことわざが生まれたのかもしれませんね。
提灯と釣り鐘の成り立ち
提灯と釣り鐘は基本的に吊るして使用される物です。しかし、その使い方は全く違うものであり、素材も違い、重さだってまったく違う物です。だから不釣り合いな物、比べられない物を指すようになりました。
この成り立ちの中で、音が出るか出ないかという定義を持ち込むと、何故比べた? と言う疑問にぶち当たり、ちょっと色々なシチュエーションを考えてみたのですが、もっと気楽に考えると、比較するのは重さのただ一点だったと言うことですね。
ちなみに類語として辞書等で挙げられている言葉には、天と地、雲泥の差、鯨と鰯、月とすっぽんなど、これらもただ一点の比較により比較できない物と解釈されたのだと思います。
提灯と釣り鐘の類語を作ってみた!
- 雪と小麦粉・・・白いけど自然と溶ける物と溶けない物を比較しても意味がない。
- 雨と飴・・・名前が同じだけど液体と固体を比較しても意味がない。
- 梅干しとイチゴ・・・赤色の食べ物だけど酸っぱい物と甘い物を比較しても意味がない。
- トマトと鬼灯・・・赤色で形も似ているけど食べられる物と食べられない物を比較しても意味がない。
- 白血球と赤血球・・・血液の中にあるけど酸素を運ぶ物と運ばない物を比較しても意味がない。
など、多少強引な気もしますが、こんな感じでしょうか。
現代では不釣り合いな物すべてを対象にして使われていますが、どうも違う気がしてなりません。
月夜に提灯とは? その成り立ちと使い方
月夜に提灯は現代において意味のない言葉です。ただの例え話として存在する。そんな言葉です。その意味として必要のない物を指して使います。
月夜は明るいのに、提灯を使うなんて馬鹿だねーって感じですね。この月夜の灯りを楽しみなさいなってことでしょう。
なお、過ぎた贅沢を指して使うこともあります。これだけ明るいのに更に明るくしてどうするんだ?!ってことですね。
月夜い提灯の成り立ち
意味と混同している部分が多々ありますが、月夜に提灯を使うことは意味のないことです。月夜が明るいから。もちろん、現代の都心部ではそう感じることが難しいかと思います。しかし、過疎化が進む地方や江戸時代の頃には、月明かりが明るいと感じたことでしょう。
また、明るいのに提灯を持っていると邪魔になるから、過ぎた贅沢を意味するようです。
これは先ほどの提灯に釣り鐘と比べて、分かりやすい成り立ちだなーと思います。現代で言えば、繁華街を歩くのに懐中電灯を持っていることを意味するのではないでしょうか?
ちなみに類語として、無用の長物が挙げられます。無用の長物。個人的に語感が好きな言葉です。
月夜に提灯を正しく使うにはどうする?
- 草一つ生えていない乾いた大地の上に除草剤を撒く行為・・・まさに月夜に提灯ですね。
- また、散歩に出かける際、酸素ボンベを背負って酸素マスクを付けながら歩く・・・これも月夜に提灯ですね。
用心していると言っても良いけど、行き過ぎた用心であり、結果邪魔だよ、それは・・・って時に使えることわざです。